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令和5年度「大切な命を守る」
全国中学・高校生作文コンクール

 令和5年度「大切な命を守る」全国中学・高校生作文コンクールには、全国から総数17,670作品(中学生の部:7,009作品、高校生の部:10,661作品)の応募がありました。

 そのうち、徳島県立阿南光高等学校2年生の岸本 晄輝さんの作品が、「審査委員奨励賞」、小松島市小松島南中学校3年生の上野 杏璃さんの作品が「警察庁犯罪被害者等施策推進課長賞」を受賞されましたので、紹介します。

「審査委員奨励賞」【高校生の部】受賞作品

「大切な命を守るために」

徳島県立阿南光高等学校2年
岸本 晄輝

 令和4月11月に「命の大切さを学ぶ教室」を受講しました。交通事故で息子さんを亡くしたお母さんの言葉から、その愛情や「交通事故防止」に関する強い思いが伝わってきました。同時に僕は、自分自身の体験を思い出しました。以前、事故に遭った時のことです。
 中学2年生の夏、僕は自転車に乗っている時に、軽トラックに跳ねられました。僕の心臓はまだ動いており、呼吸もしていましたが、普通の呼吸ではなかったそうです。いびきをかいているような、所謂「死戦期呼吸」と呼ばれるものでした。頭を強く打ったため、僕には当時の記憶がありません。ただ、ヘルメットはしっかりと被っていました。後日、警察官の方から「もしもヘルメットを身に付けていなかったら、即死だった」と告げられました。講演でも、お母さんがヘルメットの大切さを話していらっしゃいましたが、本当にその通りだと思います。事故に遭ったことは決して喜ばしいことではありませんが、安全運転や安全確認をより意識するようになったので、その点については良い教訓になりました。今後事故を防ぐためにはどうすればいいのか、改めて考えるため、あの日を振り返ってみようと思います。
 当時はコロナ禍の只中でした。サッカー部に所属していた僕は、健康観察シートを忘れたために一度家に引き返し、自宅を出る時間が遅れてしまいました。家を出る直前に父と「いってきます」「いってらっしゃい」という挨拶を交わしたことは覚えているのですが、それ以降の記憶はありません。だから身体をぶつけた衝撃も、「痛い」「苦しい」と感じたのかどうかさえも、何も覚えていないのです。目が覚めたときにはベッドの上にいました。何が起こっているのか分からず、看護師さんから「もう飛び出したらあかんじょ」と言われても意味が分かりませんでした。鼻にチューブが刺さっており、身体はぴくりとも動きません。数日たってから、漸く、事故に遭ったのだと認識することができました。その瞬間の衝撃や感情は、中々上手に言葉にすることができません。同時に「僕は死んでいたんだ」と思うようにもなりました。あの日父と交わした言葉が、最後になっていたかもしれない……その気持ちが、命の重さを知るきっかけとなったのです。
 もしあの日、死んでいたとしたら……そう考えると、悲しくて仕方がありません。微かな記憶を振りかえって、時間に余裕を持って家を出ることの大切さと、僕を大事に思ってくれる家族への親愛とを改めて実感しました。
 命はかけがいのない、大切なものです。例えば「死にたい」という言葉は簡単に発信したり思ったりすることはできますが、決して簡単に失ってよいものではありません。僕は大勢の人に、安心で安全で満ち足りた日々を過ごしてもらいたいと思っています。日々言葉を交わす友人、大切に思ってくれている家族、かけがえのない日常を失ってほしくはありません。もし何かに失敗したとしても「次は失敗しないように頑張ろう」「落ち込むことがあったけど気分転換しよう」と前向きに生きてほしい……ただ、そのためには命が必要不可欠なのです。
 僕は、事故の怪我も癒え、中学校を卒業し、高校に入学して、慌ただしくも有意義な時間を過ごすことができています。楽しいこともたくさんありました。それは「命があったからこそ」感じることができた気持ちであり、経験なのです。
 あの日以降、僕は周辺の車の有無や安全確認など、十分に注意するように心掛けています。事故に遭ったのは、自宅近くの通い慣れた道でした。身近な場所で危険を体験したからこそ、普段の何気ない通行でも油断せず、十分に警戒しています。どれだけ焦っていても、周辺の車の通行確認を忘れずに行っています。そうした入念な確認を、全ての人が行えば事故を減らすことができるはずです。
「少しくらいは大丈夫」「事故になんて遭うはずがない」と安易に考えるのではなく、
「もしかしたら……」を念頭に、動いてほしい。一人一人が交通ルールを守ることの大切さと命の重さを胸に、日々を過ごしてほしい。そう、切に願っています。

「警察庁犯罪被害者等施策推進課長賞」【中学生の部】受賞作品

「たくさんのことに目を向けて」

小松島市小松島南中学校3年
上野 杏璃

 私は、人の痛みがわかる人になりたい、思いやりのある人になりたい、相手の立場で考えられる人になりたい。だから、知ることからでもいい、その一歩を踏み出すことが私の課題だ。
 私がそう強く思ったのは、「命の大切さを学ぶ教室」で一井さんの話をきいたからだ。それは、今ではあまり考えることのできないとても残酷で心苦しい少年被害の話だった。そこから私が思ったことが三つある。一つ目、なぜ、暴力を受けなければいけないのか、なぜ、苦しまなければいけないのか、なぜ、死ななければいけないのか。この、尽きることのない「なぜ」は、自分が思っているより近くに潜んでいるものだということだ。被害は、いつ受けるかわからない。けれど、受ける側は、痛いものだということは知っているのではないか。だから、自分から相手を傷つけることのないように、自分から気を付け、小さな不安をなくしていきたいと思った。二つ目、一度負ってしまった心の傷は、とても深いもので、簡単に治るものではないということだ。被害者に悲しむ人がいるように、加害者にも誰かがいる。もしかしたら加害者は、誰かに支えられてある程度元に戻れるかもしれない。けれど、奪われた被害者は誰かに支えられて元に戻れるだろうか。それは、無理ではないだろうか。自分にとって、とても大切な存在が自分ではない他人の手で奪われてしまう。それほど腹が立って、悲しくて、苦しいことはないだろう。一井さんが言っていたことの中に、「何年もたった今でも憤りを感じる。」という言葉があった。マイナスからゼロに戻ることはそう簡単にはいかないのだ。だから、相手の心を傷つけることは絶対にしてはいけない。傷つけることは簡単にできてしまう。だからこそ、些細な言葉や行動に気を付けなければならない。三つ目、被害にあった人と出会った場合、自分は相談に乗れるのだろうかということだ。正直、私が一井さんの話を聞き、感想を書こうと思っても何も言葉が思い浮かばなかった。思っていたよりも苦しくなる内容でもあったし、それに、このような話を実際に聞くことが初めてだったからだ。テレビでは見るけれど、いざ、実際に話を聞いてみると何もできなくなってしまう。だから、今回の経験を通じて、どうすることもできなかった自分を知ることができ、どのように接すればよいかを教えてもらったので、これからにいかしていける私になりたいと思う。
 このことから私は、まだまだ何も知らなくて、学ばなければいけないと思った。知識を得ることは、けっして無駄ではない。だから、いつかの自分、いつかの誰かの助けになれるよう、学びを大切にしたい。